障害児を普通学校へ全国連絡会会報 2020年4月383号巻頭文

川崎裁判と津久井やまゆり園事件裁判の判決を受けて

抗議声明~障害のある子を普通学級から排除するな!~

障害児を普通学校へ・全国連絡会事務局

特別支援学校就学決定処分を取り消さない判決に抗議する

2020年3月 18 日に、横浜地方裁判所で許すことのできない判決が出された。

川崎市で特別支援学校(養護学校)への就学決定処分を受けた光 こうすげ 菅和 かずき 希さん親子が、 この差別的処分の取消しと地域の小学校への就学を求め、 川崎市と神奈川県を相手に訴 えを起こした(川崎裁判)。それに対して横浜地方裁判所は訴えを全て退けたのだ。

私たち「障害児を普通学校へ・全国連絡会」(以下、全国連)は、1981年8月に〝障 害児があたりまえに地域の学校に行けるように〟を共通の願いとして結成され、 障害の ある子も障害のない子も共に生き共に育つ活動を展開してきた。この判決は、私たちの これまでの取り組みと思いをも踏みにじるものであり、断固抗議する。

 

和希さん親子は、和希さんの成長には同世代の子どもたちと場所と時間を共有するこ とが欠かせないことを川崎市教委に訴えてきた。和希さんは人工呼吸器などの医療的ケ アが必要だが、幼稚園へ2年間通園してきた。さらに、支援があれば小学校への登校は 可能だと主治医も裁判で証言した。

だが、川崎市教委は就学相談の最初の段階から「特別支援学校適」として、幼稚園へ の聴取も行わず主治医の意見も聞かず、親子の訴えを無視し和希さんの特別支援学校就 学を決定したのだ。神奈川県教委も本人・保護者との合意形成に向けて川崎市教委へ適 切な指導を行わず、和希さんに特別支援学校への就学通知を出した。

この裁判は、川崎市教委の決定の不当性だけではなく、2014年にインクルーシブ 教育という障害の有無を超えた共学を掲げる障害者権利条約を国が批准していながら、 文部科学省(以下、文科省)は障害児を分離する別学教育を推進 しているという明らかな矛盾をも問う、初の裁判でもあった。

しかしながら、2年間の審理を経た判決公判は、「原告らの各 請求をいずれも棄却する」という短い主文を裁判長が述べただけ で、そそくさと逃げるように閉廷してしまった。

その判決理由は、①インクルーシブ教育は特別支援学校での教 育を排除するものではない②和希さんの障害の状態について把握 に誤りは無く、特別支援学校への就学決定は 教育委員会の裁量権 の逸脱や濫用とは言えない③他の自治体で行われていたとして も、川崎市が人工呼吸器を使用する子を小学校に入れた前例はな く裁量に任されているのだ から、受け入れなくとも不合理な差別 とは言えない、というものである。

判決文では、「障害の定義を本人の機能障害と社会的障壁によっ て判断するとしても、普通小学校に就学させることには(安全・ 安心の面から)支障がないとはいえない」。 さらに「人工呼吸器24 時間使用、車いすではなく介助者の押すバギーで移動、 1 日に 何度も体位変換が必要、血中酸素飽和度の測定が必要、発話によ る意思表示が困難。 意思疎通をして知能検査をすることも困難で 知的障害があるのかないのかも判断できない」と。

このように機能的障害を列挙するのは、「就学先の指定は、何 よりも児童本人の障害の状態に応じた教育的ニーズに合致したも のでなければならない」とするからだ。 裁判所は法と正義に基づ くことと三権分立の使命を忘れて、教育委員会と一緒になって、 医学モデルによる偏見を和希さんに押しつけたのである。

裁判長はわかっていない。「教育的ニーズ」とは教育する側か ら見たニーズではない。共に学ぶために本人はどうしたいと思っ ているかが「教育的ニーズ」なのであり、 それにできるだけ応え ようとするのが合理的配慮なのであることを。特別支援学校のよ うに排除された場での配慮は合理的配慮とは言わないのだ。

文科省は「インクルーシブ教育システム」という造語までつくっ て、特別支援教育が障害者権利条約第 24 条に組み込まれているが 如くの印象操作をしている。裁判長は それに乗っかり「その後こ の解釈が変更されたと認めるにたる証拠はない」と、2016年 に出された障害者権利条約「インクルーシブ教育を受ける権利に 関する一般意見 第4号」を無視し、文科省以外の解釈を検討せず、 裁判所自身の考えもない。全世界に日本のインクルーシブ教育の 水準をさらした判決だ。


死刑判決に反対する

 

おりしもこの川崎裁判判決に先立つ2日前の3月 16 日に、津久 井やまゆり園事件を起こした植松被告に対する死刑判決を、 横浜 地裁は同じ法廷で下している。

しかし、 「意思疎通が困難」とまで和希さんの機能的障害をこ とさら取り上げ和希さんの運命を決めてしまう川崎裁判判決の論 理は、「生産性がなく意思疎通のできない重度障害者は生きてい る意味が無い。不幸を生み出すだけ」として 45 人も死傷させた 植 松元被告と同じ論理になるのではないか。

見逃せないのは、元被告が障害者に対する差別的偏見を抱く きっかけとなった原因の一つに、障害によって分ける分離教育の 影響があったことだ。1月 27 日の第9回 公判で植松元被告は、重度障害者につい て「小中学校時代の経験も踏まえて必要ない と思った」と述べている。元被告の「獄 中ノート」にも次のような記述がある。
《小学校入学から中学校卒業まで同級生 にK君という重度・重複障害者がいま した。多くの時間を特別クラスで過ご していましたが、時々一緒に授業を受 けることも ありました。K君は自分の 頭を叩きながら奇声をあげて走りまわ り、人の消しゴムを食べてしまいました。 送り迎えはK君の母親が来ていました が、私はK君の母親の 笑顔が思い出せ ません。いつも重苦しい表情でした。》
このようなたまに行われる交流授業で は、K君のできないことや表面的な異形 さが目につき、K君の親のすまなそうな 顔が印象に残って、とても「共感」が育 つど ころではなかった。

元被告の障害者に対する差別的偏見が なぜ形成されてきたのかは十分に明らか にされないまま、わずか 2 か月余で死刑 判決を急ぐ裁判になってしまった。

遺族感情としては死刑でも飽き足らな いというのは察するにあまりある。しか し、命を奪われたことに対し命を奪うこ とで報いるのは、残念ながら感情論にす ぎない。殺人に対する死刑が殺人の抑止 にはならないことは歴史が証明している。 何よりも肝心なのは、私たちは「共に生 きる」ことを求めているのに例外をつく ることになる。それでいいのだろうか? 社会に不要な存在として生きることを否 定するのが死刑判決の論理である。

死刑判決によって、この事件が何故起 きたのかを解明し、どうすれば障害故の 差別や殺しをなくしていけるかを考える 手立てを失うことになる。私たち全国連 は、 元被告の死刑判決に反対する。


この二つの判決を通じて確認すること

この二つの事件から、私たちはあらた めて重い障害があるというそれだけで、 人生と空間が切りつめられていることを 思い知らされた。

そして不幸なことに事態はそこで止ま らない。障害者、特に重度の障害のある 人が常日頃身近にいないことによって、障害のある人に対し人としての共感が失 われ 、怖れと偏見が生まれてしまう。そ こからたくさんの植松元被告や川崎裁判 の裁判官が生み出されてくる。この意味 で川崎裁判判決は、津久井やまゆり園事 件そのも のよりも、それらを引き起こす 重大な悪影響を社会に及ぼすと言わざる を得ない。この判決をこのまま放置することはできない。光菅さん親子の原判決 を不服とした 控訴方針を支持する。並行 して和希さん自身の同世代との場所と時 間の共有の試みを支えていきたい。

私たち全国連は、今後いっそう、障害 のある子と障害のない子が共に生き共に 育つ教育のあり方を模索し、共生社会を かちとっていく所存である。

 

他、記事は以下の通りです。お読みになりたい方は、この機会にぜひご入会下さい。

●巻頭 川崎裁判と 津久井やまゆり園事件裁判の判決を受けて 抗議声明 障害のある子を普通学級から排除するな! / インクルーシブ教育を求める川崎裁判第 12 回報告 横浜地裁が当事者の意思を無視し共に学ぶことを否定する不当判決 / 権利条約第 24 条を中心にした議論を!~シリーズ・有識者会議を傍聴して~ / 21 年目に学級担任を目指して / 大阪と沖縄のこれ以上ないひどい話の報告~ひどいとも問題とも思わない意識が最大の問題2~/ 新型コロナウイルス問題が 教育現場に突き付けた課題を考える / ●「相談から」コーナー 「就学希望先小学校の校長の意見を 聞かないと決められない」と言われましたが /各地の集会・相談案内 /院内集会・総会を延期しました/ インクルーシブ教育の実現を求めて 1万筆を超える署名が寄せられました /事務局から /