障害児を普通学校へ全国連絡会会報 2023年8月9月417号巻頭文
「インクルーシブ教育」を私が使うわけ
神奈川県・運営委員 千田好夫
共に育つってどんなこと、あるいはインクルーシブってのは何だろう、と改めて思うと、これらの言葉はどんなことを意味しているんだろう? と考えてしまいます。 インクルージョンについては「包摂」という訳も最近唱えられているようですが、日本語の包摂には取り込む、取り込められるというニュアンスがあり、どうもしっくり きません。
約20年前に、この聞き慣れない外来語にどう対処するのかを全国連絡会の中で協議したことがあります。その結果、インクルーシブ教育という言葉を使う時には「共生 教育」あるいは「共生共育」を並記することになりました。しかし、使い慣れるうちにインクルーシブ教育単独で流通するようになりました。というのは、この外来語はど うもわれわれがこの40年来追求してきた「共生教育」あるいは「共生共育」とほぼ同義であるらしいと思えてきたからです。
ですから、われわれがずっとインクルーシブ教育を追求してきたかのような錯覚にも陥りました。でも、本当にそう考えて良いのでしょうか。「共生」というと、実はあ いまいで、何でも一緒くたになりそうです。
私が6歳になった時に、私が養護学校を拒否したことを受けとめてくれた親が市教委とかけあいましたが、市内のどこの公立小学校も受け入れてはくれませんでした。そ こで手を挙げてくれたのは、カトリック系の私立小学校でした。受け入れてはくれましたが、私が生まれ育ち、手に下駄を履いてかけまわった地域社会からは少し離れており、 知っている子どもは一人もいませんでした。
そのせいもあってか私の小学校6年間の思い出はろくなものではありません。毎日がいじめの連続であり、言葉の暴力はもちろん、つねられる、殴られるといった修羅場 でした。私はよく仮病を使って学校を休みました。知ってはいたのでしょうが、学校側は特に何もしませんでした。4年生の時の担任は、私が保健室登校に陥った時、「保健 室は君のためにだけあるんじゃないよ」という冷たい言葉を吐いたのです。それは、「それなら何とかしてくれよ」とは言えない私の気持ちを深く抉りました。
ただ、私をいじめた子どもたちのために付け加えれば、かれらはただ暴力を振るっていたのではない、と思えることです。私の他にクラスの中に骨の病気が元で障害のある 子がいましたが、さわったら壊れそうなか細い彼には身体的な暴力は振るいませんでした。ご覧の通り殴っても壊れそうもない私だからこそ殴っていたのでしょう。また、担任 が障害のある子に冷たければ、いじめも苛烈でした。それは、前々回千葉で行われた全国交流集会でも裏づけられました。私が質問して聞いた限りでは、学校側、少なくとも担 任が受け入れる姿勢を明確に示している教室では、いじめは起きていないということでした。いじめは、知らないことによって起きる自然現象ではなく、教育委員会・学校側の 姿勢の反映であるということが言えると思います。教育相談で「いじめられますよ」と教育委員会が親子に普通級を諦めさせようとするのは、本当に罪深いことです。
私がいじめから抜け出せたのは、急に私がテストで高い点数を取れるようになってからでした。釈然としないながらも私は学校を休まなくてすむようになり、以後大学まで 過ごしました。
さて、私が「共生教育」よりもインクルージョン、インクルーシブ教育を支持したいと思っているのは、このいじめの体験があるからです。日本の「共生教育」では、この 問題をあまり深刻にはとらえようとはしていないように思います。「良い学校はないか」と悩む親御さんに「良い学校なんてない。良い環境は自分でつくらねば」とわれわれは 言いますが、その悩みの2割ぐらいには「いじめられないか」という危惧があると私は思っています。
アメリカのインクルーシブ教育実践校を見学に行った際に「リソースルーム」というのを見ました。授業中などで我慢できなくなった子はここに来て過ごして良いのだ、と説 明を受けました。遊具などが置いてありましたが、その時は誰もいませんでした。あまり利用されてはいない、ということでした。
インクルージョン、インクルーシブ教育という考え方では、ただ一緒にするだけの教育のあり方をインテグレーション(統合教育)といって区別しています。インクルーシブ 教育では、障害のある子だけではなく、どの子もがクラスの一員として定着するように教育の保障をします。
そのために障害者権利条約では当該が尊重されるべき権利を具体的に列挙しています。但しこれらは、障害者等の特権ではなく「他者との平等に基づき」と、どの子にとって
も権利であることが明記されています。特に重要なのは、
17条 心身そのままの現状を尊重される権利
20条 様々な移動手段の活用と移動の自由の保障
21条 様々なコミュニケーションツールの利用促進と意見表明権の保障
そして、これらを空文句にしないよう、24条5で権利条約を批准した政府が「合理的配慮(本当は調整)」を行うことを保障しているのです。
これらの権利を実現し保障するためなのか、欧米でインクーシブ教育を実践している学級の授業の風景は、日本の普通学級(通常学級)における一斉授業とはまるで違った ものになります。それについてはご存じの方が大勢いると思います。このやり方を導入するとしたら教職員や教育行政の職員には差別やいじめとどう闘うのか、人権教育等の研 修が必要だろうとは思いますが、複数の教員が1クラスに入ることで、特段の技量や専門性が要求されるようには思えません。 障害者権利条約を批准しながら日本の文部科学省は、分離教育制度を「インクルーシブ教育システム」と称し、インクルーシブ教育をねじ曲げているのは周知の事実です。 しかし、これをもってインクルーシブ教育自体に問題があるかのように考えるのはいかがなものでしょうか。
他、記事は以下の通りです。お読みになりたい方は、この機会にぜひご入会下さい。
●巻頭「インクルーシブ教育」を私が使うわけ/第21回全国交流集会・分科会レポート【第1分科会 就学前】早期発見は早期療育・早期分離へつながる 【第2分科会 小・中学校】私たちは「ステキな変わりもの」~プラス1から生まれる日常~/知的障害のある不登校の子の学習権の保障は?【第3分科会 高校】 「北高、マル!」~世間の〝あたりまえ〟に風穴を~【第4分科会 卒業後】私は関めぐみです【第5分科会 運動課題】国連勧告をこれからの運動にどう活かしていくか? /変わる可能性はあるのか?~欠員補充での五年ぶりの特別支援学校現場/泣く母の項を想い出しつつ、引退させていただきます/ゆめ風コンサートであいましょう/ 各地の集会・相談案内/●本の紹介「ガクちゃん先生の学校通信」/事務局から/事務局カレンダー