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これまでの活動記録
「原則統合に向けて私たちのできること」
2002.5.18
学校教育法「改正」に向けての連続学習会(第二回)報告
5月18日、全水道会館において、第2回学習会「原則統合に向けて私たちのできること」が開かれた。講師は、全国連絡会の世話人、大谷恭子弁護士。大谷さんは、78年の金井康治さんの養護学校から普通学校への転校要求運動以来、様々な形で障害児の普通学校への取り組みに係わってこられ、巻頭にもあるように、97年12月に「原則統合」という考えを初めて提起された。
まず、片桐事務局長から最近の文部科学省の動きについて、21世紀の特殊教育の在り方についての調査研究協力者会議の最終報告に沿った形で学校教育法施行令と学校保健法施行規則を「改正」してきており、そこには二つの狙いがあると指摘された。一つは、インクルージョンへの国際的流れを無視できないので、ごまかして対応すること。二つは、障害児が普通学校に入れる基準をより厳しくすること。具体的には「認定就学者」という新たな用語を用いたこと、「就学させるべき」を入れたことに表わされ、これに対する取り組みは、学校教育法そのものまで変えていくものにしたいという提起があった。
続いて大谷さんの講演に入り、冒頭、大谷さんは@「保護者・本人の意に反した分離教育」A「保護者・本人が望んでいるにもかかわらず統合教育が受け入れられない」という二つの文章を示し、この違いは何だろうかと、会場に問いかけられた。会場の我々は「?」という感じで意見が出せず、それに対して「この差は法律家にとっては雲泥の差があります。」と前置きし、大谷さんは以下のように話された。(文責・千田)
1.統合なき特別ニーズ
現在日弁連の中に障害者差別禁止法試案を作成するための調査検討委員会をつくっている。差別を禁止するには、何が差別なのかということを規定しなければならない。ところが、他の項目はまとまるのに、教育だけはどうしても意見がまとまらない。教育では弁護士同士でも、何が差別かという基本的なところで確定的な理解が難しい。
@Aはその推定規定案文であり、これをめぐって意見が分かれる。これを考えるのに、キーワードが三つある。統合、特別ニーズ、選択権である。この組み合わせで何を譲れない一線とするかで考え方が変わってくる。
文部科学省の言っていることは「統合なき特別ニーズ」と考えると理解しやすい。今回の「改正」は、分離のまま特別ニーズにそって対応し、臆面もなく特別な場合にのみ例外的に統合を認めている。例外統合つまり、「就学すべきもの」「認定就学者」を明文にしようとしている。
2.統合なき選択権の保障
次に、統合なき選択権の保障という考え方がある。これはとりあえず、教育は二本立てにしておいて、本人の希望は認めようというものだ。図示すれば、小中学校の大きな丸に特殊学校の小さな丸がくっついており、その境界については幅のある認定にしようというものだ。つまり、本来は特殊であるべき子どもだが、本人の希望も含めて特別な場合に大きな丸に入れようという。これが、実態としてこれまでのやり方だった。今回の「改正」はこれを明文化している。
しかし、分けた上で「自己決定権」にまかせる、本人が決めるという言い方が、近頃おおはやりである。この考え方は統合なき選択権の保障に他ならない。選択「権」というが、なぜ、障害のある子どもだけがこの選択を迫られるのか、あるいは選択しなければ特殊に行くことになるが、それでいいのかということがぬけている。つまり、「本来は特殊に行くべき」というスティグマ(烙印)をつけた上で、「選択」するのでいいのだろうかということが問われていない。つまり、これがAの考え方になる。
現行法ではこれが限界だ。今まで私もこのAで裁判をくんだこともあった。しかしそれでは、もういくらやっても状況は変わらない。これが現在動いている状況だ。
3.統合した上で特別ニーズ
選択権(離脱権)の保障
そうではなくて、統合を前提にして矢印の向きを逆にする。特殊に行くことを選択にする。統合から離脱することを認めるとしたらどうだろうか。あるいは、統合した上で特別ニーズを認め、選択権を保障するというのでもいい。多数派から離れる自由だ。障害児だけでなく、外国籍の子なども含めて考えられる。私立学校での宗教教育なども同じように考えられる。
ここから@Aをもう一度見ると、@は統合されたところでの意に反した分離の強制が差別だということになり、Aは分離されたところでの選択権を認めないのが差別だということになる。表現は似ているかもしれないが中身は全く違うということが、おわかりいただけると思う。
4.統合を選択の対象にすべきではない
あぶない「自己決定権」
統合とは社会権的に一律にすることだが、一方「自己決定」は自由を保障しているように見える。近頃は福祉でもなんでも「自己決定権」で、障害児教育についてもそうなりつつある。しかし、この場合の「自己決定」は結果的に選択権が保障されず運用上不利というだけでなく、原理的におかしい。もともと「分離・排除・隔離は差別」ということから障害者解放運動は始まったのではないか。これを抜いて一人一人の選択だというのではおかしい。
さて、それでは統合されたら、みんな小中学校へ行かねばならないのか。最近、ろうの人たちがアイデンティティを保つためろう学校を残せと主張しているが、これは離脱の自由があってもいいと考えるべきで、統合を選択の対象にすべきではない。統合は生まれもって持っている権利なのだから。
5.日弁連の障害者差別禁止法試案要綱
ここで、日弁連の障害者差別禁止法試案の要綱の教育分野を紹介する。
1)障害のある者の教育を受ける権利について
障害のあるものとはどういう人かということになると、日本では狭く考えられるけれど。禁止法は障害者に権利を与えるという観点から、広く認定した方がいい。しかし、「障害」というラベルを増やすだけではないかという懸念もあり、まだ議論のあるところだ。私としては、統合した上で各々に特別なニーズがある、その基準として障害があるとすれば、広い方がいいのではないかと思う。
2)国策の施策の目的について
施策と目的、これは政府の義務について。
3)差別であることの確認について
何が障害者差別なのかということで、これは先ほどの@かAかということだが、弁護士会としては今のところ@ということになっている。
4)最善の利益の決定権者について
統合から離脱するかどうかは、親・本人が決める。これは、たとえば、義務教育であっても私立学校へ行くことを選べるということと同じレベルで考えればいい。
5)統合教育の推進
原則統合でやろうということ。
6)同一学籍の保障について
これは、特殊教育学会が出したものだが、とりあえず学籍を分けないということ。その上で特別ニーズは小中学校ですべてやる。たとえばスロープをつけるとか、補助教員をつけるとか、いろいろ工夫する。なおかつ、特別ニーズに対して小中学校でどうしてもできなければ、特別学校(もう・ろう・養護学校)でやる。この同一学籍は最低保障で、入り口の保障である。特別ニーズについては、教育委員会ではなく、当該学校現場で話し合う事項にする。
7)教育選択権
教育選択権とは、離脱する権利である。
8)特別の教育ニーズの保障について
親の介護、教師の負担をなくしていく。バリエーションと工夫がされるべき。
9)インクルーシブ推進委員会(仮称)の設置
これを各自治体レベルでつくる。統合教育を有名無実にしないためだ。私が憲法を勉強し始めたとき、教育と警察が地方自治であるということを知って、大いに納得したことを覚えている。文部省からすればとんでもないことで、教育は国の根幹だということになる。教育は地方自治の根幹なんで、我々の手に取り戻すべきだ。教育は地域ごとにバラバラでいい。文部省はいらない。ただし、この推進委員会には親と障害者が入る。
10)後期中等教育・高等教育の保障
高校・大学のこと。高校は、義務ではなく選別制だが、その合理性はどうか。高校は既に97%の進学率なので、ノー選別にしたらどうか。また、それとは別に、障害がある子どもは学習するのによけいに時間がかかるのだから、特別なニーズがあると認めて、障害児にこそ後期中等教育を義務化することが求められる。そのほか、無償教育など。
11)学校外教育の保障
これは、生涯教育で、10と同じ理由で障害者にこそ保障すべきものだ。
この11項目をとりあえず作ったが、日弁連、弁護士会としてはこれから各地域の障害者団体と協議していくことになっている。
以上、教育分野だけどうしても議論が分かれる。労働やバリアフリーにつては異論がないのに、教育はいつもつまづく。禁止法から教育を除こうという人もいるくらい。禁止法と並んで、やはり学校教育法も変えていくべきだ。
国連でも障害者差別禁止条約の検討委員会ができた。前も作ろうとしたが、条約にならず、93年に「基準規則」ができた。日本では条約という外圧が必要だ。そうでないと、歯止め無き後退になってしまう恐れが十分にある。条文として文言になるとどうしても後退してしまう。基準規則以下のものは絶対に作らせないように、みんなで議論していきたいと考えている。
6.質疑と討論
Q 僕らのような会の参加者でも「特殊学級を選んだ」ということを一種の誇りを込めながら語る場合があって、それには制度の問題ではなく個人が自己決定した、それはいいことだっていう気持ちがあるようだ。弁護士会にも自己決定とか選択権とかいうのに人気が出てきたのは何故なのか?
A 弁護士がというよりも、当事者や親からそれを言われると弁護士も乗ってしまう。そうなると私なんかがいくら違うと言ってもだめ。
Q それは、現在の普通学校なんかにとても任せられない、世の中信用できないという気持ちの表れでもあるのではないか。普通学校へ行っても、いい話はなかなか聞こえてこない。
A 選択権というのは、90年の初め以来、権利条約などで特に強調されてきた。その流れと原則統合とがねじれてしまった。もちろん、自己決定や選択権というのはそれ自体はいいのだけれども、制度的に統合が保障された上での選択権でなかったら元の木阿弥になってしまう。いままで制度の保障なく「やむなく」やってきたことだけが制度で保障されても、いいことにはならないし、絶望に依拠した選択というのはつらいものがある。しかし、逆に言うと、制度的にどちらに転がろうと選択権といっていればいごこちがいいのだろう。また障害者団体の方から、選択したにもかかわらず統合されないのが差別でいいんだとはっきり言われた。分離は差別だということがわかっていたはずなのに。
Q 「特別ニーズ」というのも、本来必要ないものでは? 本人が言ってるわけでもないし。
A 確かにそうだが、必要なものは必要でいい。しかし、当面の問題として、システムの保障よりも、日本の障害者団体は欲しいものをノーと言われたくない、というのが主になっている。
Q 障害者団体が必ずしも障害者を代弁しているのではないのではないか。だいたい、指導的な人たちは、養・もう・ろうの出身者でそこで団結をつくってきたみたいなところがある。端的にろうの人たちの主張がそうだ。
A そうだとしても、私は方向性をはっきりさせたいと思う。障害者の人たちの為だけでなく、私たちの社会一般のあり方をどうするのかにつながってくる。細かく分けられたくないという人たちの意見をもっと聞け、という気持ちだ。(記録 運営委員 千田好夫)
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